本当にあった臭い身体

びっくりするくらい臭い身体ですが生きてます 

不幸は主観的なもの

世の中みんな何かに悩んでて、きっと多くの人は「自分は他人より不幸だ」って思ったことがあると思う。

 

 

私もある。

色々諦めて、色々我慢して、色々捨てて、それでもまともに生きられない。

なんだかなぁ、こんなはずじゃなかったんだけどな〜なんて。

 

 

助けを求めた医者に突き放された態度を取られて泣いた日もあったし、

そこまで言う?って思うようなことを言われて傷付いたりもしたり。

 

 

21歳くらいまでは自分が不幸のどん底にいる、くらいに思ってました。

 

 

 

でも、大学で、失恋してから元気がなくなり、どんどん痩せていく同じ学科の子を見ていて、みんな同じなのかもしれないと。そう思うようになりました。

 

不幸は主観的なものだから、客観的な不幸の高低に関わらず、

個々人の感じ方次第でショックの強さが決まるんだなと。

 

 

こういう身体になってから自分のことばかり考えて生きてきていたので、凄く衝撃的でした。

よく考えたら普通のことなのにね。

 

 

その経験から、別世界の住民のように感じていた他人が、身近な存在に感じられるようになりました。

 

 

それからは不幸度合いを人と比べたりしなくなりました。

しても意味ないですもんね。

 

そして、人に優しくありたいと思えるようになりました。人のためにできる事は極力やろうと。

 

 

 

 

まあ、偽善といえば偽善です。

「人に優しくした分優しくしてもらえたら嬉しい」って思いも無くはないですし。

無償の行為って中々難しいですよね。どうしても私欲が混じってしまう。

 

 

 

 

今はその「無償」について考えることが多いです。無償の愛って何か尊い感じがしません?

無償の何かを与える側になれたらな、と思う今日この頃。

 

 

おわり